アトピー子育て体験記
アトピー子育てに苦しむお母さんへ、 著書「あきらめないで」

著書「あきらめないで」の内容をご紹介

アトピー児を抱えるお母さんへ

 

 

著書「あきらめないで」

はじめに

 大人になると子どもの時に感じたことを忘れてしまい、大人目線(自分目線)で言葉を発しているな〜と反省させられることが多々あります。

ブログを書くときも同じで、以前の自分の気持ちを忘れて書いているのではないかと思い、2005年に書いた体験記を読み直し、ここに書き写していくことで以前の気持ちを思い出し自分の変化に気付く作業をしてみようと思います。

※著書「あきらめないで!〜アトピー児を抱えるお母さんへ〜」は、2005年に書いた体験記です。
 事実に基づき、自分の感じたことを自分の言葉で書いています。
 正しくは医師にご相談して判断してください。
 この体験記を順に書き写していきます。
 よかったら読んでください。
 子どもの名前を〇〇にしています。

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

つい最近、息子の〇〇とこんな話をしました。
 「〇〇、毎日かかさず自分で栄養をきちんと摂っているね。どうして?」
 「治るから」
 「治ったらどんないいことがあるの?」と、私が問い返すと、
 「自由になれる」というのです。
 私は、ハッとさせられました。
 自由‥今まで、壮絶なアトピーとの闘いの渦中にいたときには、口にすることも耳にすることもなかった、考えたこともない言葉でした。でも、たしかに〇〇は、ずっと自由を奪われていたのです。
 アトピーだからという理由だけで、私は〇〇の自由を奪い、どれほどたくさんの我慢を強いてきたかわかりません。そのことに気づかされたのは大きなショックでした。
 でも今、こういう会話ができるようになったのはとても嬉しいことです。〇〇が「自由」という言葉を口にしたのは、自分の気持ちが自分で感じられるようになったという証だからです。
 以前から私は〇〇が小学校を卒業するまでに、この12年間を振り返って何かの形にまとめたいと願っていたのですが、来春の小学校卒業を前に、その願いが実現しました。
 これまで私が書きためてきた思いの一部を、以下に紹介させていただきます。同じ悩みをもつ方々のご参考になれば幸いです。

◆奮闘の日々

◆勝手に治ったわけじゃない!

 以前の○○を知ってる人たちのほとんどが、見違えるようにきれいになった皮膚を見て声をかけてくれます。
 「治ってよかったね!」
 「体力がついたんだね」
 「やっぱり、大きくなったら自然によくなるのね」
 祝福してくださるお気持ちはもちろんありがたいのですが、安易な言葉かけは、当事者にとっては必ずしも気分のよいものとはかぎりません。
 実際、アトピーとの闘いは人さまざまです。私自身さんざん悩んできたわけですが、だからといって他のお母さんがどのような過程をたどってこられたか、どれほど苦労されたかということは、ご本人からじっくりお話をうかがわなければわかりません。たっぷり時間をかけてうかがっても、すべて理解できるわけではなく、こちらが知りたいと思って根掘り葉堀り聞くことが失礼になる場合だってあります。
 アトピーの子どもたちは、本当につらい思いをしています。アトピーの子どもをもつご家族も苦しんでいます。現在、どれほど多くの方がアトピーとの闘いを続けておられることでしょうか。
 アトピーや喘息をもつ子どもたちの中には、年齢とともに自然によくなっていくケースもたしかにあるでしょう。だからといって、アトピーで苦しんでいる親子を、まったく事情を知らない他人が軽い気持ちで慰めたり励ましたりすることは、かえって逆効果になってしまうこともあるのです。言葉かけは、くれぐれも慎重にしたいものだと思います。
 世の中にはアトピーの治療法や体質改善に関する情報は山のようにありますが、本物の治療法に出会える人ばかりではありません。また、もし出会っても、それをつかみとることができるとはかぎりません。
 〇〇ちゃんが今のような状態になれるまでにも、大変な道のりがありました。

◆先生、助けて!

 アトピーという言葉は「atopia(奇妙な)」ギリシャ語に由来するそうです。さも治癒しにくい病気という印象がありますが、実際、アトピーとの闘いは、ご本人やお母さんがひとりで立ち向かうにはあまりにも困難なものです。
 患者は、他の病気と同じように、お医者さんを頼って病院に行きます。「専門のお医者さんにちゃんと答えてほしい。救ってほしい」…無力な患者は、そんな一心で病院に行くのです。
 しかし、そこで何の解決策も示されないまま、「子どものアトピーの主治医はお母さんですよ」と簡単におっしゃるお医者さんも少なくありません。そんなことをいわれても、母親は困惑し、自分を責めるばかりだと思います。
 子どもがアトピーにかかってしまって悩んでいるお母さんは、誰に頼ればいいのでしょうか?いったいどうすれば、子どもをラクにしてやれるのでしょうか?どうやったら普通に生活させてやれるのでしょうか?
 立場の弱い患者からすればお医者さんは権威者ですから、お医者さんに反論したり質問したりするのは勇気がいります。もちろん、ちっぽけなひとりの患者の言葉に耳を傾けてくださるお医者さんもおられますが、勇気をだして質問をしても相手にされなかったり、お医者さんのひとことでこちらの認識がくつがえされたりすることもあります。お医者さんとの間に軋轢(あつれき)が起きることは、患者にとっては脅威です。お医者さんの不興(ふきょう)を買いたくないがために黙ってしたがう患者も少なくないと思います。
 だからこそお医者さんには、患者の立場に立って正しい情報を伝えていただきたいのです。アトピーに悩む人々が間違った方向に行かないように、また、真面目に治療に取り組んだ人が痛い目にあわないようにしていただきたいのです。どんな情報も、受け取る側が判断すべきものといわれれば、たしかにそうなのですが、実際には簡単なことではありません。やはり、道しるべが必要です。
 私自身の体験から実感したのは、栄養がいかに大切かということです。もしお医者さんが栄養の重要性を理解しておられたら、アトピーに苦しむ人はこれほどたくさんいなかったのではないでしょうか?分子整合栄養医学に基づいた栄養療法に、ひとりでも多くの方が出会い、どの子も本来もっているはずの“元気”を取り戻せる日が来るよう願ってやみません。

 書き写していると、今の自分では使わない言葉を当時は使っていることに気付かされます。時の流れを感じると同時に、感じ方も変化していることがわかります。

◆無知は怖い

 私は自分自身の経験から「無知は怖い」ということをしみじみ感じています。誰もが自分なりに情報を集め、その中から治療法を選択するわけですが、途中で見直すことなく突き進んでしまったら恐ろしい結果を招くことがあります。
 除去食が代表的な例です。数年前までは、「小児のアトピーは食事が大きく関与しているので、アレルギー反応を起こすものを除去すれば皮膚症状がよくなる」といわれていました。私はその情報を鵜呑みにし、原因探しに力を注いだのでした。
 しかし、いくら厳格食にしても、食欲がなくて全く食べないとき以外は、〇〇の皮膚の状態が落ち着くことはありませんでした。ほんの少しでも食べ物を口にすると、たちまち痒みに襲われるのでした。
 こうなったら「別の原因があるはず。ダニ、ホコリが怪しい!」ということになり、1日に3回も家中の拭き掃除をし、カーテンは一週間に1回洗う、ぬいぐるみやじゅうたんなどダニのつきやすいものはすべて家から排除…といった生活が始まりました。
 悲しいことに、このような原因探しに必死の状態では、もっと大切なはずの子どもの成長のことなど頭から抜け落ちてしまいます。暗闇の中でジタバタしているだけで、周りの人のアドバイスなど聞こえません。結局、暗い穴から抜けることができずに、最後は痛い目にあうことになります。
 こんなことばかりしていると「やはりアトピーは治らないんだ」と結論づけてしまい、人生を半分あきらめてしまうことにもなりかねません。一度かぎりの人生です。あきらめてしまうのはもったいないです。
 私が幸運だったのは、深くて暗い穴の中へ一条の光が射し込んできたことです。それが栄養療法との出会いでした。そこで私ははじめて、自分のしていることを冷静に見直すことができたのです。途方にくれていた私を出口へと導く道筋が見えてきたのです。
 今まだ暗闇の中をさまよっている方も、どうかあきらめないでください。治療法の選択を誤りさえしなければ、アトピーからはやがて解放されます。そして、自分のやりたいことができる身体と心が手に入ります。それを、〇〇が私に教えてくれたのです。

◆痒いのはタイヘン

 3歳頃まで、〇〇が泣いていないのは喘息症状が強く出ているときだけ。一日中、泣きながら全身を掻きむしっているのでした。
 私に余裕があるときは、痒みがやわらぐようにと冷やしてやったり、肌が傷つかないようにやさしく掻いてやったりするのです。ところが、こちらに余裕がないときには、「掻かないで!」と〇〇を叱りとばし、掻きむしっている〇〇の手を強くにぎって押さえつけ、掻かせないようにしていました。
 とにかく私には、顔をゆがめて身体を掻きむしる〇〇の姿を見るのが耐えられなかったのです。痒がる〇〇に、ちっとも罪はないのに…。
 母親として、いくら努力をしてもどうにもならない無力感に押しつぶされ、症状がよくならないことへの怒りを〇〇に向かってぶちまけていたのです。〇〇が泣き、掻きむしるたびに、私まで自分をコントロールできなくなり、考えなしに反応してしまうのでした。そしてそのたびに自分の感情的な行動を振り返り、猛烈な自己嫌悪に陥るのでした。毎日毎日、同じことの繰り返しです。夜も昼もありません。
 それでも家族の世話、炊事、洗濯、掃除などをこなさなければなりません。おんぶしていれば、〇〇が身体を掻きむしる姿を見ないですむので、ほとんど一日中、私は〇〇をおんぶしていました。車の運転中も、トイレの中でも…。そして、少しでも〇〇の気を紛らわせ、掻かないようにするために、たえず声をかけ、背中を揺すってやっていたものです。
 子どもが小さいうちは親も”体力勝負“。その日の疲れを翌日にもちこさないことが大事です。しかし、〇〇の痒みは昼夜関係ないのです。深夜になっても一向に落ち着かず、しきりに痒がる〇〇を、抱っこして歩きまわったり身体をさすったりして、私には心身が休まるときがありませんでした。心身の疲労は慢性化していました。
 でも、しんどい、つらい、眠たい…などと弱音を吐いたら、もう立ち上がる気力がなくなってしまうかもしれません。無意識にそう思っていたのか、私は自分に鞭打ち、疲労感から目をそむけながら、ただただ時間がすぎていくのを待っているだけでした。
 こんな経験があるので、私はアトピーのお子さんをもつお母さんに対してはいつも必ず「夜は寝られますか?」と、いちばんに尋ねてしまうのです。

◆閉ざしがちな心

 皆さんは、目の前のわが子が湿疹だらけで、その身体を搔きむしり、血みどろになって泣き叫んでいたらどうしますか?
 病院に連れて行くのがふつうでしょう。アトピーの専門医あるいは権威といわれるお医者さんに診ていただきたいと思うのではないでしょうか。
 数年前まで私は、どこかに〇〇を助けてくださるお医者さんがいることを信じて探していました。しかし、私の望むようなお医者さんは見つかりませんでした(よく考えれば当たり前のことなのですが、苦しみの最中にはわかりませんでした。)
 お医者さんにはそれぞれの方針があること、また、現代医療にできることは限られているということなどが少しずつわかってくると、私はお医者さんだけに頼っていてはよくないと考えるようになりました。自分で積極的に情報を集めるようになり、周りの方から聞いたことや本やテレビで知ったことなど、ありとあらゆる方法に取り組みようになったのです。いわゆる代替療法、民間療法などです。
 〇〇が泣こうがわめこうが、私は必死で、常に何かの療法に取り組んでいました。たとえ科学的根拠に乏しいような療法であっても、追い詰められていた私には、一か八か、とにかくやってみるしかなかったのです。そうでなければ、苦しんでいるわが子を前に、ただ手をこまねいて見ているだけですから、それにはとても耐えられません。ですから私は、どんなものであれ、藁にもすがる思いで一生懸命に取り組みました。
 今から思うと、〇〇のアトピーを誰かのせい、何かのせいにしてしまいたかったのです。現実を直視することはできませんでした。本当のところは、私自身が誰かに、何かに、救ってもらいたかったのだと思います。
 世間から〇〇に向けられる視線はさまざまでした。優しい声をかけてくださる方ばかりではありません。私たち親子を冷ややかな目で見る人もいました。
 「かわいそうだから早く治してあげなさい」
 「あそこの病院がいいから行ってみなさい」
 「あんた、妊娠中に何を食べたの?」
 「なんでこんな子が生まれたの?何か悪いことでもしたの?」
 うんざりするほど、好き勝手なことをいわれました。
 見知らぬ人が〇〇の後をつけ、我が家を探し当てて、「この石鹸を使えば治るから、使ってみなさい」と遠くからわざわざ石鹸をもって訪ねて来てくださったこともあります。また〇〇の頭に手をかざし、「お祈りさせて」と何度も足を運んで来られる方もありました。それぞれみな、親切心からだったとは思うのですが、当時の私はそれらを素直に受け入れることはできませんでした。
 後になって子どもの友だちのお母さんにいわれたことがあります。「〇〇君がタイヘンだったときは、お母さんがものすごくピリピリしていたから声をかけられなかったよ。今だからいえるけど…」と。苦しんでいたのは〇〇なのに、つらいのは私だといわんばかりに、私のほうが毎日ピリピリしていたのです。周りの人に気を遣わせ、悲劇のヒロインにでもなっていたのでしょうか。
 素直な心や感謝の気持ちをもっていないときには、いくら貴重な情報に出会っても受け取ることはできないようです。むしろ、人の親切を悪くとってしまって人間不信になり、ますます孤独になっていくだけです。家族をはじめ周りの方々との関係も悪くなりがちです。でも、そうなればそうなるほど子どもの快復の可能性は遠のきます。
 私自身の反省からいうのですが、子どもの快復を願うのであれば、親はまず、自分の心が狭くならないように心がけ、頑固な思い込みをなくしていくことが大切なのだと思います。独りよがりなフィルターをはずし、偏見のない広い心でものを見るようにしたいものです。

◆ちばけるな!

 〇〇が小学校2年生のときだったと思います。病院で採血をしてもらう間、待合室で私が待っていると、「ちばけるな!」という〇〇の大声が響きわたりました。「ちばけるな」というのは岡山弁で、「ふざけるな」「いいかげんにしろ」というような意味です。病院中に聞こえるほどの声でしたので、お医者さんもあわてて処置室に飛び込んで行かれました。
 何ごとかと心配して待っている私のところへ、お医者さんが謝りに来られました。看護師さんがうまく採血できず、克俊が痛がったというのです。
 まもなく処置室から出てきた〇〇の両手には、包帯が巻かれていました。
 「よくがんばったね。痛かったね」と私が声をかけると、〇〇は不満をぶちまけました。
 「ちばけとるんじゃ。ここ(手の甲)から採ったらいてえ(痛い)の知っとんのに、ボクが『そこはいてえ!』ゆうても無視して、看護師さん二人で『ここから採ろうや』ゆうて、身体を押さえつけられたんじゃ。それで失敗して何べんも針を刺しやがって、ちばけとる!」
 痛みとと腹立ちでやりきれない様子でした。
 たしかに〇〇の手は皮膚が苔癬化してしまっているために血管が探しにくいのです。ですが、痛がって怯える子どもの声を無視して、自分たちのやりやすいように横暴に採血するというのはどうでしょう。患者の人格を尊重しているとはいえません。〇〇の気持ちを察すると、看護師さんたちの思いやりのない処置に怒りがこみあげてくるのを抑えられませんでした。そのときの気持ちは今も鮮明に憶えています。
 ほかにも嫌な体験はたくさんありました。
 〇〇の喘息発作で夜間に病院へ行ったときには、「今までいろいろな経緯があるので、薬については慎重に処方していただきたい」とお願いしたにもかかわらず、担当の医師と連絡をとることもなくマニュアルどおりの点滴をされてしまいました。そのため〇〇の心拍が速くなり、興奮状態に陥ってしまったのでした。
 また、処方薬を飲んで体調が悪くなったことを伝えても、お医者さんはたいてい、「そんなはずはない」という反応で、私の訴えをそのまま聞き入れてくださることはあまりありません。そうかと思えば、体重相当の量より減量して薬を処方されたことで、かえって症状が長引いたこともありました。
 「アトピー児は、はしかなどにかかると通常以上に痒がって症状を悪化させるので、できるだけ予防接種を受けたほうがいいですよ」といわれるお医者さんがおられますが、反応がひどくて予防接種ができない子どももいます。実際、〇〇は三種混合の2回目を受けたときにアナフィラキシーショック(呼吸困難や意識障害を伴う重篤なアレルギー反応)を起こして入院してしまいました。そうなるとお医者さんは「残念だけどできないね」というひとことで終わりです。まさに残念なことです。
 なぜこんなことが起きるのでしょうか。予防接種は本当に必要だったのでしょうか。もし必要なのであれば、接種できない子どもはどうしたらよいのでしょうか。「受けたほうがいい」と薦めた以上、もっと親身になって善後策を考え、親が納得できるような説明をしていただきたいものです。結局、普通でない、マニュアルどおりに扱えない患者は見捨てられるのでしょうか。
 こういう目にあうたびに、医療への不信感が募り、私の心の中にはやり場のない憤りが渦巻くのでした。

※今回書き写した「ちばけるな!」を読み返して、私自身が追い詰められていたことがわかると同時に無知だったなということも感じます( ;  ; )

◆上海滞在

 さまざまな療法に取り組んで8年目を迎えようとしていた夏には、本場の漢方治療を求め、中国語もしゃべれぬまま、〇〇を連れて上海に渡航しました。ただ〇〇を元気にしてやりたい一心でした。
 現地在住の日本人ドクターに仲介していただいて、現地に短期滞在し、漢方医の治療を受けることができたのです。当初は1か月の予定でしたが、結果的には3か月に延びたため、2か月部屋を借りて私たち親子3人(〇〇の妹も同伴)だけでの滞在となりました。
 上海ではひとときも気の休まることはなく、自己主張をしてもなかなか相手に伝わらないという経験を繰り返すばかりでした。はじめて上海のスーパーに行ったときには、〇〇の周りに人だかりができました。たくさんの人々が勝手に〇〇の服をめくって肌を見て、ガヤガヤ騒ぎ始め、口々に私に話しかけてくるのですが、中国語なので私にはちんぷんかんぷん。恐怖心も手伝って私はパニックに陥り、「うるさい!みんなあっちへ行って!」と思わず日本語で怒鳴ってしまいました。こうして、やっと〇〇の周りに集まった人たちを追い払い、逃げるようにその場を去ったのでした。
 後で、その一件を日本人ドクターに話すと、中国にはアトピーという病気がないので、〇〇の症状に関心があったのではないかということでした。〇〇を見た大きな病院の門番に「伝染病だ!」と大声を上げられたこともありました。こんな屈辱な出来事があるたびに、今度は中国語で反論できるようにと、その夜は辞書を引き、寝床の中で唱えながら中国語を覚えました。
 上海の水道水は飲めないため、飲料水は滞在していたマンションまで運んでもらわなくてはなりません。ところが、言葉が伝わらないため、いたずら電話と勘違いされてか電話をしてもすぐに切られてしまいます。繰り返し電話をかけ、やっと水が届いたときには感激し、親子で手を取りあって喜びました。〇〇の治療のための滞在だったのに、日々の生活をすることばかりエネルギーを使っていました。
 肝心の治療のほうですが、滞在中には漢方治療を受けて症状は落ち着いていました。しかし、受診するたびにお医者さんは「プーチータン(わからない)」と首をかしげ、いつも薬の調合を変えていくのでした。
 そして、「蛇を食べなさい。魚はダメ」などと、食事に関しても指導をされるので、通院帰りには店に寄って蛇を買い、調理したこともない食材と格闘しました。
 食料品店に行くと、スナック菓子が並んだ棚はホコリをかぶり、人々が買っていくのはヒマワリの種、スイカの種、カボチャの種、干し梅などが主でした。ちょうど夏だったので露店ではスイカが売られ、スイカにかぶりつきながら歩く人々の姿もあちこちで目にしました。朝、街の人々は鍋をもって豆乳を買いに行き、夕方になると多くの人が羊の串焼きをほおばりながら歩いていました。中国人はエネルギッシュです。
 でも、通院していた病院の受付の方が、「あと10年もたったら、中国にもアトピー患者が増えるわよ」といっていたのが印象的でした。その理由は、次のようなものです。まず、上海という大きな台所をまかなうために、近隣の農園では野菜に農薬を使っていること(その方は私に、「野菜のブースには必ず『緑新菜采』(?)と書いてあるので、少し高いけれどそれを買いなさい」と教えてくれました)また、コマーシャルなどで盛んにスナック菓子が宣伝されていること、子どもたちはスナック菓子にだんだん興味をもつようになっているそうです。
 日本に関心があり、日本語を勉強しているという現地の方から質問をぶつけられました。「日本では、子どもの間でいじめがあると聞きましたが、なぜそんなことをするのですか?私には考えられない」と日本の子どもたちの心の荒廃には、もしかしたら食べ物が大きく関係しているのではないだろうか…。このとき私は、そんなことを思いました。
 上海滞在中、〇〇の症状が落ち着いていたのは、漢方治療や光線治療の効果もあったと思いますが、いちばん大きかったのは転地療養の効果だったかもしれません。結果的には、中国渡航によってアトピー治療成功とはいきませんでしたが、私たち家族にとって貴重な体験と大きな出費が残ったのでした。

◆なんで怒るの?

 上海から帰国した当初は、〇〇の舌をデジカルカメラで撮影し(漢方医は患者の舌の様子を診ます)、それをインターネット経由で現地の病院に送り、漢方薬を航空便で送ってもらっていました。診断後に、処方した漢方薬を煎じてパック経由で現地の病院に送り、漢方薬を航空便で送ってもらっていました。診断後に、処方した漢方薬を煎じてパック詰めにして送ってもらうのですが、届くまで2週間もかかるのでした。
 漢方治療に関しては、日本でサポートしてくださる先生と連携をとっていただけることになっていました。ところが、両者が正反対の見立てをされたために治療がうまく進まなくなり、困ってしまいました。
 そうこうしているうちに、(さまざまな要因があったと思いますが)〇〇の症状が見る見るうちに悪化していったのです。その結果、自宅では手に負えない状態になり、病院を訪ねると、お医者さんから一喝されてしまいました。
 「なんでこんなになるまで放っておいたんだ⁈薬を出すから、1週間しっかり塗って、また来なさい」
 その日、処方された薬はデルモベート1箱とリンデロン2箱でした(いずれもステロイド剤)。
 お医者さんに怒られた経験はそれまで何度もありましたが、やはりこのときも情けなく、悲しく、惨めな思いをしました。どうにもならなくて困って、助けを求めて行ったのに、先生はなんでただ怒るだけなの?やはりまたステロイド剤を塗って症状を抑えるしか対処方法はないの?「〇〇、お母さんの力が足りなくてごめんね」…気持ちを口にすることはできず、心の中でひたすら〇〇にわびるしかない私でした。
  もちろん、これほどの量のステロイド剤を使えば身体に悪影響を与えることが心配です。でも、〇〇の身体はとてもひどい状態だったのです。目は腫れあがり、膿でぐじゅぐじゅで開けられませんでした。耳の穴からも滲出液がしみ出ていました。私は無力感に打ちのめされながら、涙をのんで、〇〇の肌に薄くリンデロンを塗ってやりました。

◆身体の元気が心の元気をつくる

 来る日も来る日も、ひとときの休みもなく痒かったら、みなさんはどうやって毎日をすごされるでしょうか。精神的におかしくなっても当然です。やりたいことは何か、何が楽しいのか、何が悲しいか、感じる余裕すらなくなります。痒がるわが子を見ているうちに、母親の私まで精神的におかしくなっていったように思います。
 痒みと同時にいつ何に反応し、呼吸困難、てんかん症状が起きるかわからない状態が続いていたので、いつ、何が起きて、この子が死んでしまうかもしれない。そんな恐怖感をもって日々を暮らしていました。その一方で、〇〇が泣きやまないときには、振り回したり、軽く布団で覆ったりしていました。今考えると恐ろしいことです。でも私は、何とかして〇〇の泣き叫ぶ声から解放されたい一心でした。ただ「お願い、もう勘弁して」と…。
 夫でさえ、「〇〇とふたりだけで過ごすのは怖い…」というほど、家族にはとっては大きな試練でした。実際、何をしてもおかしくないほど、夫婦ともギリギリの限界まで追い詰められていたと思います。
 子どものアトピーを苦に、一家心中してしまう人もいます。それだけ悩みは深いのです。そのことをぜひ多くの方に理解していただきたいと思います。
 そんな中で育った当の子どもたちに、「大きくなったら何になりたい? 夢は?」などと大人が尋ねても、答えることができません。考えたこともないし、考えることもできなかったのですから。夢や希望という言葉は、痒みの中で生きてきた〇〇には無縁でした。身体が元気でなければ、心も元気にはなれないのです。
 子どもの元気がなければ、父親も母親も元気になれないのです。家族の幸せの土台にあるのは、やはり健康だと痛感させられました。

◆新たな出会い

◆トンネル

 「〇〇君、トンネルを出てもまたトンネルがあるからね。いくつもいくつもトンネルを通らなければならないけど、必ずトンネルを出ることができるからね」
 この言葉は、栄養療法に取り組み始めた頃に〇〇が、お力になってくださったかたから受け取った言葉です。〇〇は、この言葉をまっすぐに受け止めることができたようです。症状が悪くなると「あっ、またトンネルじゃ」、よくなってくると「トンネルから出るんじゃ」といいます。こうして自分なりに状況を客観的に理解し、根気よく病気と付き合い、ここまで進んでくることができました。
 トンネルに入るとき、またトンネルの中にいるときには、出口が遠いのか近いのかわかりません。これまでは出口があるのかどうかさえわからない不安と恐怖に圧倒され、洞窟の中で孤独と絶望にさいなまれていました。でもこんどは、同じ暗い道のりではあっても、トンネルを出たときの自分に会えるのが楽しみになっているようです。
 除去食で症状が沈静化している子どもさんのお母さんから、ときどき次のような言葉を聞くことがあります。「卵、牛乳を食べなくて湿疹が出ないのなら、もう一生食べなくていいわ。せっかく湿疹がひいたんだから、もう湿疹と付き合うのはこりごりだわ」
 子どもが小さいうちは除去食でも何とかなるかもしれません。でも、子どもはそれを望んでいるのでしょうか。今は「食べられなくてもいい。お母さんがつくってくれるものがいちばんおいしいよ」なんていってくれるかもしれません。でも、子どもにそういわせているのは、実は母親かもしれないのです。
 子どもはいつまでも今のままではありません。成長していく以上、除去食、偏食では、いずれ問題が起きてきます。心身の健全な発達には、バランスのとれた栄養が不可欠だからです。
 逆に十分な栄養摂取によって、身体に足りなかったものが足りてくると、やがて心にも好影響が現れます。そして子どもは、驚くほどの力を発揮するようになります。自分で考え、自分で行動し始めるのです。
 「子どもは元気がいちばん」といわれますが、本当にそのとおりです。
 取り組みが早いほど成果も早く出ます。先の見えない暗闇の中でもがいているお母さんもお子さんも、トンネルの先にある光を目指して歩み始めていただきたいと思います。

◆家族の協力で基礎講座に参加

 〇〇が栄養療法に取り組むようになって5ヶ月がすぎた秋、私は淡路で行われた基礎講座にはじめて参加しました。その頃、何といっても〇〇が摂取する栄養を購入することが優先で、私自身はまだ栄養を摂っておらず、毎日ヘロヘロの状態で生活していました。そんな中、ただ「栄養のことを知って〇〇を元気にしてやりたい!」という思いだけで参加を決めた基礎講座。いったいどんなことを学ぶのか、心構えもなく臨んだのでした。
 わが家は夫婦と子ども3人の核家族なので、夫に家事と育児を任せての参加です。この講座の1か月前から、子どもたちが家事で困らないよう、ご飯の炊き方、おかずのつくり方、洗濯の仕方などを教えこみました。子どもたちも積極的に覚えようとしてくれました。
 そして当日、貧血のうえに、集中講義の内容が濃すぎて頭脳疲労を起こしてフラフラになった私が帰宅すると、たくましくなった子どもたちが夫とともに私を待っていてくれました。そのうれしさは言葉にならないもので、子どもたちの成長を目の当たりにした出来事でした。
 はじめての基礎講座が非常に勉強になったことはいうまでもありませんが、さらにありがたいことに、これを機に、私にも外出や外泊が可能になったのです。「私が家にいなければ、子どもたちは何もできない。家族は暮らしていけない」なんて、どうやらひとりよがりの思い込みだったようです。
 栄養のことをもっと学びたいという気持ちがふくらむのと同時に、それを可能にしてくれる家族の理解と協力に対する感謝の念が、私の心を満たしていくようでした。

◆真の療法との出会い

 「卵を食べるとコレステロールが上がる」といった根拠のない説と同じく、「△△△を摂るとアトピーが治る」「玄米△△で元気になれる」「アトピーは身体の歪みが原因」…など、疑わしい説は世の中にたくさんあります。
 しかし、「何とか助かりたい(助けたい)」と切望している人は、どんな情報でも「もしかしたら…」と、そこに望みを託したくなります。御多分に漏れず私も、いろいろな療法にのめりこみ、お金をつぎこんできました。
 今になってみると、「タイヘンなときこそ立ち止まって冷静に物事を考えてみればよかったのに…。そうすれば〇〇を必要以上に苦しめることはなかったのでは?」と後悔することも多々あります。でも、その時々は必死でした。また、何もしないでいるという選択はとても勇気がいります。常に何かしらやってみないわけにはいかなかったのです。そうはいっても、夫と話し合い、得た情報の中から私なりに取捨選択して実行していたのです。「その療法での改善例はあるのか?」「説明は理にかなっているか?」「誰からの情報なのか?」といったことを確かめ、何度も話し合い判断していたつもりでした。
 栄養療法に取り組むようになったのも、きっかけは同じようなことでした。しかし、取り組み始めると、分子整合栄養医学の理論に基づく栄養療法は本物だということが実感できました。分子栄養学の学びと栄養の取り組みを重ね、○○の身体の中と外の状態の変化(違い)が見えてきました。本物はそうそう出会えるものではありませんし、また簡単に手に入るものでもないかもしれません。
 私は今、本物の療法と出会えた感動、病態改善できる喜び、さらには、自信をもって周りの方のお役に立てる手段を得られた幸せをひしひしと感じています。

◆楽しくなった体育

 〇〇は小さいときからあまり身体を動かすことをしたがらなかったし、しようとしてもできませんでした。汗腺が詰まって汗が出ないため、運動すると体温が上がって体中の痒みが増すこと、また、動くと皮膚がつっぱり、皮膚が裂けて痛いことを自分で知っていたのです。
 小学校に入ると体育の時間があります。身体中から膿が出ている〇〇は、クラスの皆の前で着替えるのを嫌がりました。先生もそれをわかってくださっていたので、強制されることはありませんでした。そうはいっても、皆がやることが気になり、自分もときどき体操服を着たくなることがあったようです。そういうときには、長袖のポロシャツなどの上から体操服を着ていたそうです。そんな〇〇が体育の授業に参加できるようになるとは、担任の先生も親も考えていませんでした。ところが、栄養が入って元気になってくると同時に、皆の前で体操服に着替えるようになり、体育の授業にも、できることを選んで自ら参加するようになったのです。できないこと、ついていけないことはまだいくつもありが、〇〇なりに楽しく身体を動かし始めたのです。
 そして、なんと今年は、クラブ活動でバスケットボールを楽しんでいます。
 小学校3年生までは、症状がひどかったこともあり、日光を浴びると身体中が真っ赤に腫れ上がっていました。そのため、プールサイドにさえ近づけなかった〇〇でした。それが、元気になってくると「泳ぎたい」「泳げるようになりたいんじゃ」といい、ついに昨年は人並みに泳げるまでになったのです。親がうるさくいわなくても、体調がよければ、子どものやる気は自然に出てくるものだということがわかりました。

◆勉強が楽しい?!

 「勉強って楽しいな!」
 先日、ふと〇〇がそういうので、正直、私はびっくりしました。親としては、なんとか将来困らない程度の学力をつけてやりたいと思っていましたが、なんといっても栄養欠損状態で体力・気力の出ない〇〇にとって、勉強は苦痛でした。
 小さい頃には、私が絵本を読んでやっていても、最後まで聞くだけの力はありませんでした。小学校の授業でも、プリントが配られて、先生に「さあ、やってみましょう」といわれるとすぐに泣き出すのでした。先生は〇〇のそばについて、問題を読んで、わかりやすく説明し、最後には答えまで教えてくださるのがお決まりのパターンでした。教室の後ろでそんな光景を見ていた私は、「身体がしんどいから仕方がない」というあきらめと、「なんとか勉強ができるようにしてやりたい」という親心の板ばさみになっていました。
 その後、周りの方々のサポートと栄養療法のおかげで、〇〇は徐々に遅れを取り戻してきたのです。「勉強って楽しいな!」という言葉は、私の聞き間違いではなく、元気になった〇〇が思わずもらしたひとことだったのです。本当に、うれしい驚きでした。

◆給食もみんなと一緒に

 小学校に入ると、〇〇にとってはじめての給食が始まりました。給食は子どもたちにとって学校生活の大きな楽しみでもあるので、〇〇が寂しい思いをしないよう、私も心をくだいたものです。
 おかげさまで小学校の栄養士の先生が食物アレルギーに理解があり、よく協力してくださったので、1年生のときには代替食(〇〇が食べられる食材で、見た目は給食と同じように工夫したもの)を給食時間に食べさせました。一学期中は毎日、朝は私も一緒に登校し、お昼前に家に帰って代替食と自分の弁当をもって学校に戻り、夕方一緒に下校していました。二学期からは、少しずつ減らしていき、三学期末には週2回程の登校でした。2年のはじめだけは先生がなれるまで数週間通い、その後、私は登校しなくてよくなりました。
 そのうちに、栄養療法が進むと徐々に食べられるものが増え、とうとう家から持参する必要がなくなりました(今も牛乳だけは飲んでいませんが…)。ここまでの状態になったのは、学校側に理解があったことが大きかったと思います。たとえば、ベーコンや調味料については、全校生徒(約800食)を対象に、〇〇の食べられる天然のものに変更してくださいました。献立にしても、〇〇が食べられるものが一品でも増えるよう、おかずの組み合わせなどをかなり考慮していただくことができたのです。
 このような周囲の支えがあってこその〇〇の成長だったと感謝しております。

◆体調の自己コントロール

 わが子ながら、〇〇がなかなか立派だと思えるところは、自分の体調を自分でコントロールできると知っていることです。
 何かの行事があるためにストレスがかかっているとき、季節の変わり目、睡眠時間が足りないとき、あるいはお菓子を食べすぎたときなど、自分で「これはまずい」とわきまえています。よいか悪いかはともかく、ときどき“不良”しながらも、自分で栄養摂取量を増やして、体調をくずさないように、また一日一日を楽しめるように、調整しているのがわかるのです。
 持病の喘息のほうは、毎日、朝と晩にピークフロー(気管支の状態を表す指標)を自宅で測定し、日誌をつけて体調管理をしています。
 こうなったら、〇〇はもう、自分の人生のハンドルを握った運転手です。親がしてやれることは、ほんのわずかしかないのだということがわかります。

※ピークフロー値で喘息の状態を見極められるドクターに出会ったことは、順調な喘息改善に繋がったと思っています。

◆足りない栄養は足せばいい!

 「かあさんがボクを産むとき、もっと元気じゃったら、こんなに(アトピーに)ならずにすんだのに。栄養をもっと早うから知っとったらよかったなあ」
 〇〇はあっけらかんと、こんなことをいいます。たしかに、産前・産後を通して母親の私自身が栄養欠損であったことは間違いなく、それは栄養療法を始めたことではじめてわかったのです。
 それにしても、以前の〇〇なら、「なんでこんなになったのか?」「どうしてボクだけが?」と心の中では思っていたかもしれませんが、口に出して私に迫ってくることは決してありませんでした。
 今考えると、「がんばってボクのために特別な食事をつくってくれるかあさんに、そんなことはいえない」「いつもボクを心配してくれるかあさんを悲しませてはいけない」と、幼い〇〇は配慮してくれていたのだと推測できます。私が無言の圧力をかけていたのかもしれません。
 〇〇は、とてもシンプルな考えをしています。つまり、「ボクの身体には栄養が足らない。足らないなら足したらいい」ということです。〇〇が、あっけらかんと私に恨みごとをいえるようになったのも、すぎたことを責めているのではなく、「足らない栄養を補えば問題は解決する!」という前向きな考え方をしているからこそ。うれしい進歩なのです。
 栄養療法を始めて以来、〇〇は欠かさず栄養を摂取してきました。毎日学校にも持参して給食時間に摂っているので、〇〇の“元気の秘密”は周りの友だちも知っています。

◆私が一番欲しかったもの

 私がいちばん欲しかったものは、家族の“本物の笑顔”です。「何?それ」と思われるかもしれませんが、痒いとき、眠れないときには笑えません。作り物の笑顔ならできるかもしれませんが、心からの笑いはないのです。
 〇〇は二男ですが、〇〇がアトピーをもって生まれてからというもの、長男の笑顔まで消えてしまいました。〇〇本人はもちろん、長男も、はじけるような笑顔を見せてくれた記憶が、私にはなかったのです。私が暗い顔をしていたためかもしれません。
 わが家のアルバムをめくっても、みんなの笑顔がこわばっているのです。明けても暮れても痒がっている〇〇、いつも沈んだ顔のお母さん、困って見ているお父さんとお兄ちゃん。〇〇の4歳下に生まれた娘が加わったせっかくの家族写真も、幸せな雰囲気を伝えてはいませんでした。
 ところが、身体が元気になると、心も元気になってくるのです。〇〇にも、ほかのみんなにも笑いが出るのです。家族5人がお腹の底から笑った、いい写真が撮れるようになりました。
 私が欲しかった真の笑顔。おかげさまで、ようやく手に入れることができました。やはり、家族の笑顔は最高です!心も身体も元気な子どもたちの笑顔は、大きな幸せを運んできてくれます。

◆結果が出るまでの長い道のり

 今までいろいろな療法に出会い、試してきました。どれもそれなりに、そのときの私たちに必要なものだったと思います。でも、本物ではなかったのです。身体の仕組や生命の営みが理解されていないまま、表面的なところにだけ働きかけて、苦しみから逃れようとするだけのものだったように思います。
 「ひとときでも苦しみから逃れたい」というのが、いつも私の心を占めていた願いでした。どの療法も、その可能性を秘めているように見えたのです。しかし、私の希望はそう簡単にかなえられないということを、試行錯誤する中で学びました。はっきりいって困難な道です。
 栄養療法に出会えたときには、「これで〇〇は元気になれるかも…」という予感がありました。とはいえ、一筋縄ではいきません。これまで実践してきた除去食のせいで、〇〇の身体はひどい栄養欠損に陥っています。そのため、必要な栄養を摂取しても、うまく受け入れて吸収することができないのです。
 焦らず、栄養を少しずつ、何回も、身体の中を通してやることが必要だといわれました。そうすれば入っていくようになるというのです。人一倍、時間がかかります。
 実際、このプロセスは容易ではありませんでした。今まで入ってきたことのないものを身体に入れると、身体は拒否し、腹痛、嘔吐、湿疹、蕁麻疹、微熱などさまざまな症状が出ました。それでも〇〇の「元気になりたい!」という気持ちのほうが勝っていたので、あきらめることはありませんでした。症状は出ていても、たしかに元気になっているということを、〇〇は自分なりに感じることができたようです。
 全身が滲出液に覆われ、まともに目を開けることさえできないような状態でしたが、それでも、傍から見ていて〇〇の“元気”を感じとることができたのです。それまでだと、滲出液が出ているときには食欲も落ち、ぐったりして身体を起こすことさえできませんでした。それが、栄養を摂り始めると、皮膚症状は悪く見えても食欲はあり、はっきりと目に見えるものではなくても、力強い生気が伝わってくるのでした。私はその様子を見ていて、「栄養療法に賭けてみる価値はある!」と確信するようになったのでした。
 栄養療法を開始して3か月後に再度、血液検査を受けました。症状的にはあまり改善が見られませんでしたが、血液検査のデータは改善していました。その結果を見て夫婦で話し合い、「がんばって続けてみよう」と決断したのです。4か月すぎた頃から症状が次々に改善していきました。
 データと症状は比例するとはかぎりませんが、データが改善すると必ず症状も改善するーそのことは、ほかの方々のケースからも見てとれます。私には、こういったたくさんの事例が栄養療法への信頼を高めてくれているのです。

◆自分の力で

◆ディレクターさんのサポート

 「私がどんなにオシャレをしてもかまわない相手はディレクター(D)だ」と、おしゃまな我が家の娘がいいます。Dさんはいつもステキな笑顔でみんなに元気パワーをくださる。私が目標にしているDさんです。○○がここまでよくなったのは、Dさんのサポートのおかげです。
 「よくなっているから大丈夫」と認識しているつもりでも、目前で起きる症状に不安が募り、心が揺らぐときもあります。自分で不安を解消できないときには、いつもDさんに電話をさせていただきました。
 Dさんとお話ししていると安心感がわいてきて、「これも一つのプロセス。○○の力を信じて見守ろう」という前向きな気分に戻れるのです。こうして、Dさんにはいろいろな面からお力添えをいただいてきましたDさんの支えがなかったら、○○よりも私の方が、途中で挫折していたかもしれません。
 アトピーにかぎらず、病気と闘っている親子、家族はたくさんいるはずです。闘病のさなかに信頼できる誰かと出会えるということは、得難い支えになると思います。私たち家族は、Dさんとの出会いに心から感謝しています。

◆身体で体調の舵取りをする

 〇〇は今までに、カウンセリングを3度、自分で受けたことがあります。これはとても意味のあることだったと思います。
 担当の先生は、データを見ながら〇〇本人に、どこがよくなったか、今後はどういうところに注意が必要か、詳しく、わかりやすく説明してくださいました。自分が直接聞いたことは、自分でしっかり受け止めるので、生活の中で自らすすんで気をつけるようになっていきました。このほうが、親が何十回となく同じことを注意するより、何倍も効果があります。
 たとえば「三度のご飯をしっかり食べて、お菓子を減らす」ということをひとつとっても、自分で受け入れたら、自発的に行動するようになります。自分で決定したことは守ろうと、〇〇もがんばります。恥ずかしい話ですが、親も子どもの行動に感化されて、食事の重要性を再認識し、食事づくりにも工夫を心がけるようになっていきます。
 自分の身体のことをきちんと理解すると行動が変わり、その結果も大きく変わっていくようです。これもまた、〇〇を見ていて学んだことでした。

◆家族でディズニーワールドへ

 2005年2月、会社企画の旅行に家族で参加しました。昨年までは考えられなかった夢の海外旅行です。ドクターも参加されていたので、とても心強かったです。
 待遇にも恵まれた旅行だったのですが、私は往きの飛行機の中から「気圧の関係で喘息が起きないだろうか?」「慣れない食事、それもファーストフードのような機内食では〇〇が体調を崩しはしないだろうか?」と心配ばかりしていました。が、私の心配は杞憂に終わり、家族みんな安心して旅行することができました。
 思い返してみると、何から何まで私が心配しすぎていたのです。案ずるより産むが易し。実際には、〇〇には何のトラブルもなく、かえって〇〇がいちばん元気で、旅行の全日程を堪能していました。
 国内でも、これほど心おきなく旅行をしたことはありません。長年、闘病に明け暮れ、家族そろっての海外旅行なんてあきらめていた私たちにとって、まさに夢のような日々でした。今回のディズニーワールドへの旅は、私たち家族に贈られたプレゼントのようなものでした。

◆症状に振り回された日々

 〇〇が生後6か月のときに受けた血液検査は、IgE(アレルギー体質の指標)とアレルゲン(アレルギーを起こす物質)の検査でした。IgEは44、アレルゲンテストでは卵白がクラス2でした。ダニ、乳製品、米、小麦、大豆、サケ、マグロ、カニ、エビなどは陰性でした。アレルゲンテストの結果はそれほど深刻なものではなかったのです。
 しかし、誰の目から見ても、〇〇の症状は重症のアトピーです。ですから、お医者さんも、血液検査の結果相応のレベル対応では改善できないと感じられたのでしょう。
 まずは母乳を与えている私が食事制限をし、それでも改善が見られなかったので母乳を与えるのをやめ、アレルギー用ミルクに切り替えました。市販されているアレルギー用ミルクはすべて試してみましたが、〇〇の症状は一向によくなりませんでした。
 それどころか、体重はどんどん減少し、症状も悪化していきました。「この病院では手に負えない」といわれて紹介された病院に転院。すると、「あまりにもひどい状態だから」とすぐに入院させられました。厳しい除去食と、ステロイドを塗って全身包帯でぐるぐる巻きの日々が始まりました。食事は、主食としてサゴヤシ粉(熱帯地方で採れるデンプン)かサツマイモ、副食も野菜中心で、あとは少量のアレルギー用ミルクでした。
 この頃の私は、身体に受け入れられないものをきっちり除去しないと湿疹はひいてくれないものと思い込んでいました。皮膚症状は、ステロイドなくしてはどうにもなりませんでした。
 防ダニの高価な布団を買い、家中のじゅうたんやぬいぐるみを捨て、1週間に1回はカーテンを洗い、1日3回家中の拭き掃除をし…来る日も来る日も、とにかく家中の掃除に精を出していました。こういう努力によって症状が軽減するお子さんもいますが、現実問題としては、こんなことは簡単には続けられません。
 それどころか、毎日の掃除や代替食づくりなど、母親はアトピーに振り回されてしまって、考える暇も力も残っていません。子どもに、自分で自分の身体を守ることができるだけの防御力をつけさせることが必要なことはわかっていても、どうやったらいいのか、方法がわからないのが実情です。ひとりで空回りして、結局はお手上げ状態になってしまいかねないと思います。

◆みんな違って当たり前!

 患者は、今出ている症状をどうにか消してもらいたいがために病院へ行きます。そして、お医者さんは患者の訴えを聞き、とりあえずその症状を消す手段を教えてくれます。アトピーの場合、その多くはステロイド剤を塗ることになってしまいます。症状が現れるたびに、その繰り返しです。
 自費で詳しい血液検査をして〇〇の身体の状態を知ると、私は一般の病院で行われている血液検査の必要性に疑問を感じるようになりました。保険診療の制約の中でお医者さんも苦悩しておられるのかもしれませんが、とおりいっぺんの検査で本当に身体の状態が把握できるのでしょうか。正確に身体の状態を把握しないまま、表面に現れた症状によって診断され、現代医療のマニュアルにしたがって治療が行われるのが普通です。その結果、患者をさらに苦しめることもあるということを、私たちは身をもって知りました。
 症状は同じに見えても、身体の中は一人ひとり違っています。「個性を尊重しよう」などと、いろいろな場面でいわれますが、身体の状態にも個人差があるということは案外、理解されていません。
 アトピーでは、同じような症状であったら同じような処方が行われることはよくあります。除去食を指示され、それでも改善効果がなかったら、除去食をきちんと実行していないのではないかと疑われることもあります。
 それぞれ身体の状態は異なっています。誰もが自分の身体をよく知ったうえで、健康を自分で管理する方法を学ぶことが必要だと思います。医療に携わる方々が、私たちをそのように導いてくださったらどんなに素晴らしいことでしょう。
 本当の意味で、個人個人を大切にするのであれば、身体の状態を正確に把握したうえで治療法を考えるのが当然ではないでしょうか。そんな方向に現代医療が進んでいってほしいものです。
 医療の方向性が変わるのを待っていられないので、自分と家族の健康を守るという意味で、ぜひともひとりでも多くの方に多項目血液検査を受け、身体の状態を知っていただきたいと思います。

◆本人の力を信じて一歩、一歩

 〇〇はこの飽食の時代に、長年の除去食で、発展途上国の難民の子どもと同じような極度の低栄養状態になってしまっていました。それもそのはず、〇〇は生まれてから9年間、厳しいタンパク制限を続けてきたのです。詳しい血液検査データには、その結果がはっきりと示されていました。
 低栄養という根本原因がわかったのですから、解決への道はおのずと見えてきます。不足している栄養を身体に入れてやればよいのです。
 ところが、栄養を入れないで9年間も生きてきた身体は、急に必要なものを与えてもすんなりとは受け取ってくれません。九九をくり返し覚えるように、身体が必要な栄養を認識できるまでには、何度も身体に入れてやらなければならないのです。栄養の吸収がすんなりといかないのは、長年のツケですから、悔しいけど、仕方がありません。
 ただ私は、身体に栄養を与える必要性はよく理解できても、実際に〇〇に栄養を摂らせるとアナフィラキシーが起きないかと心配していました。アナフィラキシーによって気管支が狭まり、呼吸ができなくなるのはいちばん恐ろしいことです。
 食物アレルギーというものをご存じない方には想像できないことだと思いますが、〇〇は特定の食べ物に対して、驚くほど過剰反応をしたのです。もとはといえば、知らず知らずの間にそのような過敏な身体をつくってしまったことこそが重大な問題なのですが…。
 栄養の中でも、プロテインについては細心の注意が必要でした。少しずつ、少しずつ、耳かき1杯から摂っていきました。湿疹、微熱、腹痛、下痢、便秘…と、身体にはさまざまな拒否反応が現れましたが、〇〇が自分から摂取量を減らしたいということはありませんでした。くじけず、あきらめず、少しずつでも前進していたからこそ、徐々に栄養を受け取れるようになり、好結果に結びついたと思います。
 これは家族にとっても、非常につらいプロセスでした。とくに母親は、つらい症状に苦しむわが子を目にすると、うろたえてしまいがちです。子どもの小さな身体の中で、いったい何が起きているのか、心配でたまりません。私もそうでした。「私は正しいことをしているのだろうか?」と心が揺れました。
 しかし、〇〇の身体の状態を正しく理解すれば、これも元気になるためのプロセスだということが納得できるのです。何より、〇〇自身がどこかでそのことをわかっていて、必死でがんばっていました。本人のがんばりに、私たち家族も励まされました。〇〇の元気と一緒に、これまで以上によい親子関係も手に入りました。家族の努力に、何よりのご褒美をいただいたと思っています。
 病気の子どもの中には「元気になりたい!」という強い思いが必ずあるのです。親がこれを邪魔してはいけない、元気になるためにがんばる子どもの力を信じて応援してやることが大切なのだと、私は痛感しました。

◆お医者さん、わかってください!

 湿疹が出た子どもを連れて最初に受診したとき、「お母さん、この子には栄養が足りていませんね」とお医者さんが助言してくださったら、アトピーとの闘いはもっとラクになっていたのではないでしょうか。親も子もこれほど苦しまずにすんだのではないでしょうか。
 ただ「アトピーです」ではなく、どうして、身体がみずから皮膚を壊さなければならないか、どうすればそれを止めることができるのか、それを説明してくださったら患者も納得がいきます。そのうえで「不足している栄養を補って治しましょう」と、シンプルな解決方法を示していただけたら…。
 受診したお医者さんのひとことで患者の人生は大きく変わるといっても過言ではありません。保険診療の枠の中で処方される薬で、表面に出てくる症状を抑えながら、多くの患者はなんらかの“アトピー商法”に乗せられ、あれでもない、これでもない…と、さまざまなことに手を出して、トータルで見ると驚くような額のお金を使わされる羽目になります。高価な寝具の購入や住宅リフォームどころか、環境を変えないとダメだといわれて家を建て替えた方さえいます。
 自慢ではありませんが、わが家の家計も火の車でした。「〇〇を痒みから解放してやりたい。自立できる身体にしてやりたい」というのが私たち夫婦のいちばんの望みでした。そのためなら、家をも売る覚悟でやってきました。
 アトピー児をもつ家族はそんな思いでいることを、お医者さんに知っていただきたいのです。どうか、たやすくマニュアルどおりの診察をしないでください。
 心からお願いしたいと思います。

◆買ってはいけない苦労

 「若いうちの苦労は買ってでもせよ」といわれますが。要らない苦労もあります。アトピーの苦しみもそのひとつだと思います。とくに子どもの心身の成長には、日々の体験が大切です。二度とない成長期に、毎日毎日、痒みと闘っているのでは、心の底からの感動や喜びを感じることはできません。
 除去食を実行していた〇〇は、5歳になっても、ドーナツ、ハンバーガー、シュークリーム…といった食べ物を知りませんでした。〇〇は、私がつくる代替食しか食べたことがなかったのです。
 また、〇〇が間違って食べるとアナフィラキシーを起こす可能性のある食物は家に置かないようにしていたので、お兄ちゃんにもたくさんの我慢をさせてきました。お兄ちゃんが7歳のとき、父親と二人でマクドナルドに行ったことがありました。「ジュースを飲んで、ポテトを食べた!」と嬉しそうに友だちに話しているのを見て、私は涙がこぼれました。
 今考えると、私の無知と不安によって、子どもたちに食物を恐れる気持ちを植え付け、我慢を押し付けていました。「これを食べたら〇〇が死ぬから」と脅し文句をいって、欲しがるものをあきらめさせたこともあります。もちろん、母親としてわが子の健康を願う一心でやってきたことでしたし、それが私にできた“ベスト”の選択だったのです。でも、子どもたちには本当にかわいそうなことをしてきたと反省しています。
 狭い情報の中で暮らしていると、アトピー児の家族みんなが我慢の日々を強いられます。必要のない苦労を、それも無期限で背負い込むと、性格がよじれてしまいそうです。不必要な苦労はしないほうがよいのです。大切な人生を十分に生きるために!
 そんな苦労のさなかにいるお母さんやお父さんに正しい情報がきちんと届くよう、微力ながら私もお役に立てたら幸いです。アトピー児のもっている底力を信じ、本当に必要な応援をしてやれるよう、絶対にあきらめることなく、一緒にがんばっていきましょう!

※2005年12月1日 発行
※体験記「あきらめないで!」を順に書き写しました。今回が最後になります。

◆おわりに

 小学校入学当時、体中から浸出液が出ていた○○は、既定の制服を着ることができず、ひとり自由服を着て真冬でも布製の草履をはいていました。
 先生方やお友達に支えられてここまできた小学校生活です。入学当初、○○が同年代の子どもたちと同じような生活ができるようになるとは、だれ一人として想像していなかったと思います。「よくぞ、ここまで来た!」というのが私の実感です。
 へこたれ、あきらめてしまいそうになった私を夫が常に支えてくれ、長男は2歳のときから我慢をつづけてくれ、末の娘は無邪気にニコニコ笑って家族をなごませてくれました。みんなのおかげで今があります。もちろん、いちばん頑張ってきたのは○○自身ですが、アトピーと闘うには家族の協力が不可欠なのです。
 アトピーとの闘いの中で私は、「どこに向かって、何を選んで、今ここを生きていくのか?」をつくづく考えさせられました。しっかり筋道を立ててものを考え、正しい選択をすることを学ぶと同時に、本物はなかなか手に入らないという事もわかりました。
 栄養は、生きる力を十分に発揮するための手伝いをしてくれます。○○が「元気になれば自由が手に入る」といったとおり、これからやっと家族それぞれが自分の人生を歩みだせるのだと思います。
 今暗闇の中にいても、諦めないでください。目指す方向が間違っていなければ、必ず自分の足でトンネルから出られる日が来ます。
 最後にお世話になった方々にこの場をお借りしてお礼を申し上げます。
 栄養療法に取り組む中で、多くの方に支えられました。日々の生活で、私が居ないときでも○○が困らないようにお弁当を作ってくれた親族や友人たち、学校生活で困らないように考え実践して下さった校長先、教頭先生、担任の先生方や給食をみんなと一緒に食べれるように献立を考えてくださった栄養士の先生、体調不良でも対応できるよう体制を整えてくださった保険の先生、……お名前を挙げさせていただいたらキリがないほど、周りのたくさんの方々への感謝の気持ちでいっぱいです。
 ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

著書「あきらめないで」

※著書「あきらめないで!」は、2005年に書いた体験記です。
事実に基づき、自分の感じたことを自分の言葉で書いています。
正しくは医師にご相談して判断してください。

もくじ
上部へスクロール